作業療法士4年目【カネヒラの個人史的何か】

日記
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こんにちは,カネヒラです.

今年度から作業療法士4年目に突入しました.

中堅ではありませんが,新人とはいえない立場への移行期でしょうか.

4年目についての雑感を記録として残しておこうと思います.

やや苦しみの3年目

3年目は苦しみがやや多くありました.

コロナ禍による普段の生活のストレス,必要な業務変更や調整,臨床経験を重ねたことによる責任の増大などなどがありました.

ネガティブな話に花を咲かせてもしょうもないので,これ以上は述べませんが,『精神科の作業療法士を辞めたいかも』と感じ,一方でそれを抜け出せたのも3年目でした.

停滞期でもあった3年目ですが,そこで充分に立ち止まった分,4年目の今はしっかりエンジンを働かせて動けている気がします.

コロナ禍も慣れてきた

コロナ禍にも慣れてきました.

ステイホームが必要なら,それに合った活動も色々と出来ると学びました.

家の中でオンラインの学会や研修に参加.趣味のギターを弾く.

人ゴミを避けて,たまに息抜きのランニング.

意外とステイホームも悪くない.

もちろん不満もありますが,不満を言ってもしょうもないので,「いまの状況でできることをやろう」精神も大切と思います.

今の社会の状況・ルール下に沿ったやりたいことを考えて,それを遂行していくのも悪くない.

4年目の作業療法士

自分が学生の頃に思い描いていた未来より,“良い状態”と自分を捉えています.

学生の頃は,「それなりに仕事して,まあまあな感じで生きてるんだろうな」と思っていました.

ふたを開けてみたら,まあまあちゃんと作業療法士をしている(未熟なところが多大にありますが).

SNSを通して,北海道外の作業療法士と関わることがあると思わなかった.

道外の研修(コロナ禍前)に参加してるとは思わなかった.

学会発表してるとは思わなかった.

などなど,色々とあります.

今年度は,第7回日本臨床作業療法学会学術大会で演題発表,第51回北海道作業療法学会学術大会の学生ワークショップでファシリテータを担当予定です.

学生の頃は,このような活動をしてるとは思っていなかった.

卒後5年を目途に修了することが期待される日本作業療法士協会による基礎研修も2年目の終わりに完了させました.

意外と自分,ちゃんとしてるかもしれない.

と,たまには自分を褒めながら過ごしてます.もちろん,冷静になってまわりを見渡せば,私なんかはちっぽけな作業療法士です.

世のため,人のため

最近は,世のため,人のために生きたいと思うようになりました.

ちょっと前までは『“自分のため”の前提があってこそ,“世のため,人のため”に動ける』と考えていました.

しかし,最近その考えがちょこっと変わりました.

きっかけは,北医療大卒の仲間とやりたいことリストについてオンラインでお話をしたときでした.

自分のやりたいことを考えると,物欲などが多かったりして,なかなかむなしくなったのです.笑

「あれ.自分の生き方ってこんなもん?」ってなりました.

「世の中に,社会に貢献するやりたいことがある生き方のほうがかっこいいんじゃないか」と素直に思いました.

人から期待されることをやりたいなと.

このセクションのオチはありませんが,「世のため,人のため」に生きたいと最近は思います.

ちなみに,自分に意識を向けた生き様としてやりたいことは,ギターの弾き語りが上手くなりたい,大学院に進学・修了などして博識の道を進んでみたい,などです.

しかし,これらは技術や知的体力が求められるので,一筋縄ではいかなそうです.

北海道の札幌という安全圏にずっといるのか

「カネヒラは,北海道にこだわっているのか?」と聞かれたことがあります.

実家は北斗市~函館圏なので,帰ろうと思えば帰れる距離感でちょうどいい.

札幌は,学生時代から住んでおり8年目の街.住み慣れている.

北海道LOVE.

他方で,作業療法士としてのキャリアを考えるのであれば,転職の際は全国的に,あるいは北海道の町村の田舎なども含めて考えるべきだよなとも思ったりします(今のところ転職する気はありませんが).

北海道の作業療法士は,札幌に集まりすぎていて,自分もその一人.

自分は,この居心地のいい安全圏にずっといるのだろうか.

このセクションも結論は出さずに終わり..笑

おわりに

本記事は,エッセイのようになりました.

1年後,5年後,10年後にこの記事を振り返りたいなと思います.

生活は続く.人生は続く

では,また(^O^)/

 

 

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